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明治学院大学ヘボン塾校友講座 九十九里教会を訪問して (2012年3月3日)

平成二十四年三月三日(土)にヘボン塾校友会のメンバー八人と共に九十九里教会を
たずねた。

千葉駅で10時に集まり、JR松尾駅に向かった。当日は天気が良く,暖かくて絶好の
外出日であった。日頃の行いが全員良かったせいか予定通りに、午前11時17分に
松尾駅に着いた。
世話人である島田貫司さんから、駅で今日の予定時間や注意事項などを聞いて教会に
向った。なにしろ島田兄弟は旅行会社の専務さんなので手慣れており、道も間違えずに
教会にすぐ着いた。
教会の中に入ったら、飯田牧師が出迎えて下さり、にこやかに歓迎をしてくれた。
実は飯田牧師と私とは知己の関係で、東京都庁職員で働いていた時に、都庁聖研と
いう聖書の勉強会の仲間だったからです。
8年前、定年で退職した後、東京神学大に入学し、卒業後牧師となって、九十九里教会に
就任したのだ。都の幹部職員だったから数多くの天下り先があったのにもかかわらず、
キリスト教の牧師に転職した人である。
都庁にいた時も立派な管理職だったのであるが、今、又接して見ると尊敬する牧師に
大変身をとげていた。8年前の牧師就任式で九十九里教会に私も出席させてもらったが、
すっかり威厳のある愛の人になっていたのにはびっくりさせられました。
余談はこれくらいにして、なぜこの教会をヘボン塾校友会の方々が訪問に来たのかと
いう理由であるが、この教会を設計した人がヘボン先生だったということなのだ。
8年前の教会の印象は敷地が広く、ただ明るい礼拝堂だったなという感じであったが
今回牧師の話や松尾町史などを読むとヘボン先生が遠いこの松尾町まで来て、設計したと
いう事が確認されたのである。当時のお金で二百円も寄付しているという記録を見たら、
本当の話しだったと納得できたのである。改めて教内の内部を見ると、太陽の光で全体が
明るくて広い空間なのである。私はその時、マタイ伝13章44節『天国は、畑に隠してある宝のようなものである』という聖句を思い出した。
ヘボン先生はわざと遠い所に来て、この宝『九十九里教会』を隠して建設したのではないかと考えた。つまり、九十九里教会にくれば天国を見つけられるよと暗示していると
想像するのである。
さらにこの教会は明治学院と深い関係があった。
工藤英一教授が当教会の百二十年史において『明治初期の千葉県下の諸教会はひとつと
して今日まで存続しているものはない。ただ一つ武射郡松尾に16年に創立された
九十九里教会のみは明治、大正、昭和にかけての困難な時代を耐え抜いて、例外的に
現在に至るまで存続していると述べている。』
又、六代目の牧師である、池田勤之助は明治学院大学神学部に明治34年に入学し、
同37年に卒業している。この在学中、九十九里教会の応援にきて明治36年まで在任
しているのである。そして現在の教会員の中にも明治学院の卒業生が在籍している事も
確認された。
このように明治学院と深いかかわりのある教会を訪問して神の不思議な摂理を感じた。
飯田牧師の祈祷のあと、一人一人献金して、近くのお店で昼食を取り、午後二時に帰路に
ついた。
お世話して下さった島田兄弟に感謝すると共に、明治学院の確実な歩みが日本の一部分を
支えてきたことに自信と誇りを持つことができた。
参加した兄弟たちの健康と平安を祈る次第です。
(佐藤 幸雄 記)