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2012年10月29日

大人のためのライブ「ブルートレイン ジャズナイト!」

11月のブルートレインのステージはトランペットを加えたクインテットの演奏です。
海老原やすなり&ブルートレイン:
大脇淳(Tp)、谷村康平(Ts)、二見勇気(Pf)、角田隆太(Ba)、海老原やすなり(Dr)
ゲストボーカル:
飯田さつき、松永ヨシオ

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日時:2012年11月16日(金)Open18:00~
Live 1st Stage:18:30~19:30
2nd Stage:19:50~20:50
場所:ライブハウス428 シブヤ楽器店5階
料金:2500円(ワンドリンク込)
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詳細はフライヤーにてご確認下さい。

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2012年10月24日

ヘボン塾2011校友講座受講生とMGの仲間達の秋の集い 生麦事件と島崎藤村展

2012年10月10日(水)10:30AM 京急 花月園駅にて12名と再会、
世田谷支部の小暮幹雄さんのMG小旗につづいて旧東海道を横浜方面へと歩き、
生麦歴史散策へ出発、先月の築地・明石町散策でもガイドしてくれた小暮さんに
又ガイドして貰った。
丁度今年で150年目となる生麦事件発生現場の説明板を見てから、新道路建設工事の
ため移設された事件碑へ(棚田 守彦さん合流)後酒店経営者だった浅海武夫氏が
150年前地元で発生した生麦事件が薩英戦争となり近代日本の成立のきっかけとなった
歴史的に重要な意味があると1994年酒店と住宅を改装して生麦事件参考館を開館.
私財を投じて資料を集め展示,氏の熱意に感激して国内外から参考資料が送られ館内に
展示、又全国各地の集会に招かれ事件について講演をつつけている。
来日して3年目ヘボン先生は急な事件に呼び出され、4人のイギリス人、内1人は
死去、2人の治療、女性は半狂乱となった後英国へ帰り,2児の母となった。
当時米国領事館だった本覚寺で3人の治療にあたった。ヘボン先生の治療により
助かった2人、1人は外人居留地の消防士となり33歳で死去、もう1人は絹の
貿易商を営み、鉄道開通式で外国人代表の祝辞を述べ、後44歳で死去。
その2人の墓は、すでに死去され埋葬されたリチャードソンの外人墓地のそばに
浅海氏が2006年建てられ3人一緒に横浜に眠る。
(参考資料:浅海 武夫著「ドキュメント生麦事件」)
不在だった浅海館長の講演テープを50分聞いて、参考館見学後京急生麦駅へ、
近くの店「清月」で名物の「よねまんじゅう」を求めた方がいた。横浜駅からJRで三つ目の
石川町で下車、中華街の中にある卒業生の中華レストラン「獅門酒楼(しもんしゅうろう)」
にてランチ(680円~840円)途中合流した横浜・戸塚在住の竹生田 正さん参加、
午後2時30分5人の方が所用で離れ8人が2台のタクシーに分乗して、山手にある
県立 神奈川近代文学館へ,大先輩 島崎 藤村展(生誕140年記念)見学、
母校明治学院からも多くの品々が出品、展示されていた。
帰途元町にあるウチキパンで有名なイギリスパンを買って解散、ウチキパンは1889年
創業、3年後ヘボン夫妻は米国へ帰る。ヘボン夫妻もウチキパンを召し上がったことと
伝えられる。
(島田 貫司 記)

ヘボン塾2011校友講座受講生とMGの仲間たちの旅
①ヘボンの生地と墓参、ゆかりの地巡る北米バスの旅 8日間
  2011年10月4日(火)~10月11日(火)5名
②ヘボンが建てた教会 千葉 九十九里教会
  2012年3月3日(土)   8名
③大磯 島崎 藤村 墓参、終焉の家を訪ねて
  2012年3月31日(土) 12名
④ヘボンが提案して建てた日本初西洋式ホテル 日光 金谷ホテル
  2012年5月24日(木) 13名
⑤ヘボンが暮らした 横浜ゆかりの地めぐり
  2012年7月5日(木)  19名
⑥ヘボンが建てた学校跡 東京 築地・明石町の跡地を訪ねて
  2012年9月20日(木) 15名
⑦ヘボンが治療した刀傷事件 横浜生麦事件と島崎 藤村 生誕140年記念展
  2012年10月10日(水)14名


2012年10月22日

「白金祭」出店のお知らせ

■白金祭初参加■
日時:11月1日(木)13時~17時
    11月2日(金)10時~16時
    11月3日(土)10時~16時
場所:本館3階 1361番教室
※詳細は下記をご覧下さい。
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2012年10月03日

築地・明石町(居留地)を訪ねて

 2012年9月20日(木)午前11時に築地本願寺正門前に集合しました。ヘボン塾有
志の会とヘボン顕彰会のメンバーなど、計15名です。幼少期をこの界隈で過ごした
という小暮幹雄氏の案内で、まずは本願寺の境内から出発です。
 築地本願寺は江戸御坊と称されていた建物が、明暦3年(1657年)の大火によって
焼失し、そのがれきによって埋め立てられたこの地に移転して再建されましたが、
それも関東大震災によって焼失し、1934年(昭和9年)伊東忠太の設計により古代
インド様式の建物が、この地に建てられたそうです。境内には、歌人九条武子の
歌碑や、将軍家侍医も務めた眼科医の第一人者、土生玄碩(はぶげんせき)の墓
などもありました。
 明石町に入り、浅野内匠頭邸跡、芥川龍之介生誕の地、聖路加国際病院の中に
ある、聖公会のチャペル、病院創設者のトライスター宣教師の胸像、蘭学事始地など
の記念碑を見てまわりました。学校発祥の地としては、立教学院、慶応義塾、女子
学院、立教女学院、雙葉学園、青山学院、女子聖学院、そして明治学院の記念碑を
訪ね歩きました。明治学院記念碑を囲んで撮ったものが、この写真です。1863年
(文久3年)ヘボン博士が横浜外国人居留地39番で開設したヘボン塾が母体となった
「一致英和学校」とブラウン塾等3つの神学塾が母体となった「東京一致神学校」、
そして「英和予備学校」の合併したものが、後の明治学院となります。
 江戸幕府は1858年(安政5年)に欧米5か国と修好通商条約を結び、明治元年には
江戸の開市としてこの明石町地域を築地居留地と定めました。ここには海外からの
宣教師、医師、教師などが居住し、教会や学校などを開いて教育を行っていた影響もあ
り、洋風建築が建ち並び、異国情緒あふれる特別な専用区だったようです。
 気温33度という炎天下を2時間ほど歩き、ようやく、新橋にある明治学院出身者の経
営する「はつ音」にたどり着きました。テーブルを囲んで、すしに舌鼓をうちながら、参加
者同士の親交を深めることができました。            
(新倉勢子記)

次回は、10月10日(水)生麦事件発生現場と島崎藤村展見学会です。
午前10時30分 京浜急行花月園前駅集合