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2011年12月12日

明治学院大学ヘボン塾校友講座懇親会

日時  2011年12月3日(土) 15時30分~17時30分
場所  寿限無 (東京都港区西新橋1-11-5 西新橋福徳ビルB1F)
出席  18名

一昨年から開始されたヘボン塾校友講座は3年目を迎え、本年も内容をJ.C.ヘボン、島崎藤村、賀川豊彦を取り上げ、「明治学院は近代日本にどんな貢献をしたか」をテーマに掲げて、昨年よりも講座内容を深堀し開講されました。
その講座につき次週の閉会式のみ残したタイミングで、佐伯栄昭、島田貫司、佐藤幸雄の3氏の声かけで、昨年と同様に懇親会が開催されました。出席者は昨年よりも4名増の18名で、受講生の約25%にあたりました。因みに「寿限無」は、1955年卒業の明学出身の菅野義光氏が経営するイタリアン居酒屋で、同窓のよしみで十二分なるサービスをしてくださいました。
 佐藤幸雄氏による開会のご挨拶、最年長の真壁卬夫氏のご発声よる乾杯、そして18名全員による自己紹介(卒業年、専攻学科、クラブ部活動、卒業後の略歴、ヘボン塾校友講座の感想などを通して)と進みました。出席者は1948年卒業生から2008年卒業生までと60年も離れていたため在学当時の学院風景が知りたくて質問が出たり、「この夏にヘボン博士のお墓参りに行ってきた」との報告があったり、「自分は英語が苦手だが、『英語の明学』の出身だから英語が堪能だろうと人事部が勝手に判断して国際部門(海外駐在)に配属をさせたのではないか」と回顧する者、「在学中にヘボン塾校友講座のようなカリキュラムがあったらもっと愛校心が醸成されていたのではないか」とコメントする者など、内容が多岐に亘り大いに沸きました。ほろ酔い気分を見計らって、星野正義氏のウクレレが登場し、東日本大震災の被災地復興への願いを込めた「北国の春」や、学生時代を懐かしみつつ「鈴懸の道」などを歌う者が現れ、それらを耳にしながらそれぞれのテーブルでは思い思いの語らいや建設的な議論が飛び交わっていました。
 その一例をあげます。ヘボン講座の中島耕二講師が、初日の講義の中で一昨年に受講生全員に提出を義務づけた小論文「私にとってのヘボンの生涯」のなかで、「~明治学院大学医学部設立への提言に代えて~」という内容のものがあったと紹介されたので、それを話題にしていました。「少子化が進み各大学は生き残りをかけた教学改革など整備・拡充を目指しているなかで、同博士の事績の一つである医療奉仕を記念した『明治学院大学医学部設立』はキリスト教主義に基づく文系理系を備えたユニークな総合大学への発展に繋がる」ので賛成。「提言は解るが、財源と人材の確保や文部科学省の許認可を考えると現実的には設立は不可能ではないか」と否定的な意見。「会社が通常やっているM&Aの手法を応用すれば可能ではないか。具体的には薬科大学など既存の法人と合併する方法を採用すれば医学部設立はし易くなるのではないか」との建設的な意見。いづれにしても、「ヘボンの本領である『どこまでも一つのことに“stick to ”(しっかり、しがみついて)それが完成するまで自分はやめない』との姿勢や、『歴史の教師』と呼ばれた賀川豊彦から学んだ行動力を発揮することが医学部設立の取り組みには大切なことではないか」など、侃々愕々の議論をしておりました。
 語らいや議論をしているうちに、星野氏のご指導のもと全員による課題曲の練習が舞い込みました。島崎藤村作詞の「惜別の歌」と賀川豊彦作詞の「白金聖歌」です。「白金聖歌」を知っている人は少なく、CDを購入し練習して次回は歌えるようにと学生時代のようなフレッシュな課題をいただきました。
 和やかな時間は瞬く間に過ぎました。賛美歌を歌い、最後は「明治学院校歌」です。声高らかに「人の世の若き命のあさぼらけ~」を合唱しながら、「ヘボンの子供」としてそれぞれが心の中で母校への感謝と新たな誓いとお祈りをしつつ散会いたしました。
 なお、名残つきない人達は、その後も近場で語り合ったとのことです。(海瀬春雄 記)